当時の人から文革の話を聞いて
当社の董事長は50代の上海人。
普段は仕事の話以外そんなに話すこともないが、たまに会社で昼飯を作ってくれるので(!)、そのときばかりは食事をしながらいろいろな話をする。
先日は、文化大革命の時代の話を聞いた。
言わずと知れた、でも内実はあんまり伝わってこなかった、1966年から1977年まで続いた社会主義大衆運動のことだ。彼は当時小学生、ある日突然「なにをしてもよくなった」という。当時の様子はすさまじい。急に、誰にもなにも言われなくなり、なにをしても許される日がやってきた。学校では机を窓から投げ捨て、気が向いたら先生のアタマをひっぱたき、学校に行きたくなければ街に出かけて毛沢東のビラをくばって食べ物をかっぱらった。その後、多少は規律を守るように言われたが、肝心の先生たちがすっかりヤル気をなくし、授業中でも手を抜き昼寝でもするくらいに堕落していったそうだ。まったく、日本の学級崩壊なんて可愛いもんだ。
「でも子供のときだったら、それはそれは楽しい時代だったでしょう?」
確かに初めのうちはそう思っていたそうだ。
しかしいつまでたっても貧しい生活が続く中で、次第に国に対する不信感は高まっていった。77年に文革が終わり、また社会がガラッと変わっていく様をみて、多くの人が「あぁ国って信用できないんだな」と悟るようになった。その間、ある人は親戚に勉強を教えてもらい、ある人は図書館にこもり、独学で知識をつけていったそうだ。
無気力でも努力をしなくても生きていける生活が10年間強続いた。そのため、ほとんどの人はその原体験をどうしても忘れられない体になってしまった。その後、中国は78年の「改革開放」を契機に、経済成長ひた走る国に大きく変貌を遂げていく。このうねりの中で、国や権力をうまく使ってのし上がる1%の「聪明的坏人(賢くて悪人)」と、時代の取り残された99%の「善良的笨人(善良なまぬけ)」に分かれるようになった。
日本人にとってとかく理解が及ばない「中国人」の実像を考えると、そのたびに必ず「文革が社会・経済に与えた影響」にぶつかる。文革の影響力の大きさをそのたびに感じてしまう。董事長はよく笑い話のように語っている。「文革を経験した世代はみんな不幸。でもその人達が死なない限り、中国はよくならないよ」
最近、中国人の海外移住がニュースでもよく取り上げられている。経済成長が曲がり角を迎え、政治のさらなる混迷が予想される中、「先に富める人達」がこぞって中国に見切りをつけはじめている。行き先はアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、日本も少し入るか・・・いま中国語を教えてくれている友人の中国人達も、数年以内に海外に移住したいと話している。
「優秀な人達はいまどんどん中国を出ていってますよ」
そういえば先日、10数年ニューヨークに住んで帰郷した中国人が、故郷の上海に戻ってきたにも関わらず、わずが数ヶ月でまたニューヨークに戻ってしまったという話を聞いた。最後に「こんな国に住めるか!」という捨て台詞を吐いて旅立ったそうだが、今の中国は彼にはどう見えたのか。外国人の我らから見れば、年々住みやすくなっていると感じる中国上海なんだけど。。
月日とともに世代が代謝し、文革の影響が少しずつ薄まっていく中国社会。と同時に、一部の富裕層は海外に軸足を移し祖国を離れつつある。「文革世代がいなくなってから」と語った董事長の描く未来の中国は、「優秀な人達」がどんどん逃避しなければいけない国になってしまうんだろうか。そこでもがく僕ら外国人はどこに向かうべきなのだろうか。
というようなお題をアレコレ喋っていたある日のランチタイムでした。
どうなるんでしょうかねぇ中国って